ミース・ファンデル・ローエの椅子
「ルーヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ」は、1886年ドイツ、アーヘンに生まれた。「ル・コルヴュジエ」、「フランク・ロイド・ライト」とで、近代建築界の三大巨匠と言われている。
彼は、大学で正式な建築教育を受けることなく、地元の職業訓練学校で製図工の教育を受けた。その後の1906年には、「ブルーノ・パウル」の事務所に勤務した。
彼は、数多くの建築作品を残していますが、その中で建築作品とともに制作された椅子を紹介します。
1927年に、「ヴァンセンホーフ・ドルンク」展で発表したのが、ドイツの家具メーカー「テクタ」社のためにデザインした。「B42チェア」と「「D40チェア」チェアがある。(下の写真)
この椅子は、「MRチェア」、「MR20チェア」でも通っている。
「B42チェア」
「D40チェア」
この椅子のようにキャンテレバー構造の椅子を最初にデザインしたのは、「マルト・スタム」である。彼は、1926年に「スチールライン」社から「S33チェア」(下の写真)を出した。
この椅子のようなキャンテレバー構造を採用してデザインした人物が、「マルセル・ブロイヤー」である。彼は、1927年に「B33チェア」(下の写真)をデザイン制作した。
彼らの作品からインスパイアされてキャンテレバー構造の椅子を制作した「ミース・ファンデル・ローエ」でるが、訴訟を起こされることはなかった。しかも、彼は、前脚の半円系の曲線で弾力性をもたせることによって別の特許を取得している。
1929年に、バルセロナ万博のために「ドイツ・パビリオン」(下の写真)を設計した。
この設計の時に、国王の為にデザインされた椅子が「バルセロナチェア」と「オットマン」である。(下の写真)、
この椅子は、「20世紀の王様」の椅子とも言われたが、この椅子のモチーフは、古代の力の象徴とされていた"ハサミ"の形態から採用されている。それをデザインによってシンプルで美しい脚部に仕上げ快適な椅子にしている。
1930年には、、チェコスロバキアに完成した「トゥーゲントハット邸」(下の写真)のために製作された家具がある。
そこでデザイン制作された椅子が、「チューブラチェア」、「ブルーノチェア」、と「トゥーゲントハットチェア」である。(下の写真)
「チューブラチェア」
「ブルーノチェア」
「トゥーゲントハットチェア」
今回は、「Wikipedia」、「カーサ・ブルータス」、「テクタ」社HP他を参考に紹介しました。
今回は、ここまで!!
☆参考
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